真理に生きる(実践スピリチュアリズム)

~ 感謝の中で、毎日を現実的に生きていくこと。毎日の丁寧な営みを。 ~

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ご無沙汰しております

前回の記事から、気付いたらなんと一ヶ月が経過しておりました。

五月は仕事や執筆活動に追われながらも、日常生活の方で色々な方との出会いがありました。そのため、中々まとまった時間がとれずブログの更新が滞っていたという状況でございました。

ただその間、自分みつめや真理探求は日々、継続しておりまして、色々と深く思うところ、新しく気付いたことなどがございますので、時間を見つけて記事にしていきたいと思っております。

次回の記事は「人生における真理」の続きとなります。
よろしくお願いいたします(^^)
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人生における真理 [序論2]

(10.06.02更新)

(関連記事:人生における真理 [序論1]

私はいつも、以下のことを考えながら世の中や人生を捉えるようにしています。

「 人生において大切なことは沢山あるけれど、
 複雑で混沌とした世の中だからこそ、まずはシンプルに”人として一番大切なこと(真理の核心部分)”だけを見つめ、
 そこから少しずつ広げていけば良いのではないか


 よくいわれることの一つに、「基礎を固めてから応用していく」ということがありますが、これは人生においても同じだと私は思っています。人生のルールを知らずに、人として一番大切なことを知らずに生きていくことは、初心者がいきなりガイドもなしに高山を登ったり、スキーで初心者がいきなりモーグルのコースを滑るようなもので、道を見失ったり、怪我をしたりさせたりしかねません。今回の記事は、この「基礎部分」を中心に述べていきたいと思います。

----------
 私たちの人生において大切なことは山ほどあります。多くの人が様々な人生経験の中で培ってきたものや、(書籍なども含め)多くの人との出会いの中で影響を受け得てきたものがあるでしょう。それぞれの人がそれぞれに大切にしているものがあると思います。それはそれで素晴らしいし、かけがえのないものだと思います。一人ひとりが自分自身の考えや思いは大切にすべきですし、また尊重されるべきです。

 ただ、その大切なことも大小ありますし、普遍的なものもあれば、特定の人にとって大切ではあってもその他大勢にとってはあてはまらないケースなど様々です。中には相反する議論などもあるでしょう。人はそもそも、顔かたちが違うように価値観も皆違うのですから当然といえば当然です。生き方も多様化している現代ですから、人生を見つめ直そうと思っていらっしゃる方々にとっては、「何が大切なことなのだろう?」と思われるお気持ちもよくわかります。

 そこで私が提案したいことは、”人間の根本的なもの、本質的なもの”を見ていくことです。 
(1)根本的なもの
 「そもそも人はどういった存在なんだろうか」「何が無いと生きていけないんだろう、逆に何があれば、それだけで幸せと思えるのだろう」「人間の尊厳って、命って何だろう」「人生の意味ってなんだろう」など、様々な視点から全ての人間に共通するものを根本的に考察します。
(2)本質的なもの
 人の言動やこの世にある様々な事象や問題は、確かにそれぞれ見た目や表現方法が異なるので、一見まったく別のものとして思いがちです。けれどそれらを一つひとつ冷静に分析し大元を辿っていくと、実は本質的には同じところからきていることが多いということが見えてきます。

 そうして導き出したものが私の申し上げている「真理の核心部分」であり、これが基礎になります。基礎を固めるということは、自分の中に一本(または数本)の太い幹を作るということです。”自分自身の心の柱”を持ちそこから離れなければ、不安定な社会に依存したり人の言動に左右されることは少なくなります。そして、その柱は一本~数本であることも重要だと思っています。なぜなら、そもそもたくさんのことを一度に見つめたり実行することは難しいことだからです。また、この世は複雑な世界だからこそ、シンプルに捉え、シンプルに生きていくことが重要ではないかと思っています。

 「真理」は一人ひとりが自分自身で培っていくものだと思います。それは、生きていく中で変わってもいいと思います。確信を深めたり、自分自身の”台本”を改訂しながらも、一生をかけて見つめていくものだと私は思っています。思想・哲学の捉え方、真理探究の仕方については以前の記事で述べたとおりです。

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 ※もちろん、私はこの世界のあらゆることをシンプルに解決できると申し上げるつもりは更々ありません。問題の一つひとつ、人間関係の一つひとつはそれぞれがケースバイケースですから、一つひとつ現実的に向き合って、各人がそれぞれ適切な解決策や付き合い方を模索・検討していく必要はあります。基礎部分は最も大切なことではあるけれども、決してマニュアルどおりにはうまくいかないのが世の中です。しかし、その葛藤こそが学びであり、人生の面白さでもあると思うのです。(多くの人が一度はそう思ったことがあるかも知れませんが、)全てがマニュアルどおりにうまくいったなら、どうでしょうか。おそらく成長がなく怠惰に生きていたと思います。そして誰がやっても同じ、違う見方をすればその人の代わりはいくらでもいることになります。これは人間として本当につまらないことです。様々な人がそれぞれのフィールドで葛藤しながらも、その人なりの工夫をすることが味になっていきますし、それこそが大事ではないか思っています。そして、この蓄積こそが人間力(応用力)であり、大きな力となるのではないでしょうか。

 次回、「真理の核心部分」について述べていきたいと思います(いくつかもう既にお話していることでもあります)。
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人生における真理 [序論1]

(10.06.02更新)


 以前の記事で私は、「霊的世界を信じる/信じないに関わらず、真理に沿って生きられることができるなら一番いい」と申し上げました。本日はその「人生における真理」について、私の考えを述べさせていただければと思います。

 私自身が人生をテーマにして真理を語る時、それは私自身の言葉によるものでなければなりませんし、自分自身が多くの方と関わる中で経験してきたこと(実体験、あるいはそれに近いほど他の方の人生から深く心に刻まれた経験)がベースでなければならないと考えています。私はこれまで、前世も含めて多くの方々と関わり、様々な生き方をしてきましたし、同時に様々な生き方もみてきました。多くの方に影響を受けながらも、様々な人生の中において自分が深く心で感じ、そこから自分が思考して得てきたもの、その積み重ねが私の真理へとつながっています。まだまだ未熟な私が真理を語るなどおこがましいという気持ちは拭いきれませんし、あくまで現時点までのものになります。今後加筆修正する可能性も大いにございますが、どうぞご了承ください。

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私は、真理という言葉を以下のように捉えています。

「シンプルで普遍的な、いつも身近にあるもの」

 それは決して、難解な言葉や理論などで解き明かすものではありません。頭のいい学者でしか到達できない内容ということもないし、スピリチュアルな視点で言えば”再生を必要としない境涯”に至らなければ理解できないものではありません。
 そしてそれは普遍的であり、真理の核心部分は特定の思想・哲学を学ぶことでしか得られないものでもありません(それはスピリチュアリズム然りです)。確かに特定の思想によって、考え方の幅が広がったり視点が増えたりすることで、人生観が変わることはあります。しかし、真理の核心部分というのは"私が良いと思う"多くの思想・哲学で共通しています。

 真理は、誰もが理解できるシンプルなものであり、かけがえのないものです。それは常に身近にあり、自分自身でもあります。それがあるから生きることができますし、そのために生きているとも言えます。
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 次回以降、具体的に人生をテーマにして私の考える真理について掘り下げていきます。おそらく、「それは当たり前のことじゃないの?」と苦言をいただくこともあるでしょうけれども、私はその方々に「そのとおりです」とお返ししたいと思います。私のブログの他の記事もそうですが、全て当たり前のことを言っているだけに過ぎません。しかし、私も含めて誰もが皆、頭ではなんとなくわかっていても、その「当たり前のこと」がなかなかできません。また、そのことが大切だということに気付くことができません。生き方が多様化しているこの現代社会は、光を見失い、何が大切なことかさえもわからなくなっている人も多いのではないでしょうか。だからこそ、一人ひとりが自分とどう向き合い、自分と社会の関わり方、人生の意味などについて模索していく必要があると私は思っています。
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Keep Your Thoughts Positive

(10.04.26更新)

 本日は、友人から教えていただいたガンジーの詩をご紹介します。


いつも前向きに考えるようしよう。なぜなら、あなたの考えがあなたの言葉になるから。Keep your thoughts positive because your thoughts become your words.
いつも前向きな発言をしよう。なぜなら、あなたの言葉があなたの行動になるから。Keep your words positive because your words become your behaviors.
いつも積極的に行動しよう。なぜなら、あなたの行動があなたの習慣になるから。Keep your behaviors positive because your behaviors become your habits.
いつもプラスになるような習慣を身につけよう。なぜなら、あなたの習慣があなたの価値観になるから。Keep your habits positive because your habits become your values.
いつも価値観を高くもとう。なぜなら、あなたの価値観があなたの人生を決定するから。Keep your values positive because your values become your destiny.

Mahatma Gandhi



 自分の人生は自分で作ることができます。でもそれは小さなことの積み重ねによって形成されるものであって、そのためにはまず自分の心からみつめていかなければいけないということ。そして自分の考えは自分の言葉となり、それが行動となり、習慣となります。やがて習慣は価値観へと繋がっていく。「前向き」は決してテンションを高くするという意味ではなく(明るさというものはもちろん必要だけれど、それだけではなく)、自分の身に起こる一切を受け入れ、内省していく中で気づきを得ていくこと、そしてどんなことがあっても乗り越えていくことだと私は捉えています。

 そして”keep”すること。昔、あるラジオ番組で指揮者の佐渡裕さんが「毎日同じ事を10年続けられますか?」と仰っていたことを思い出します。誰もがある瞬間や数日だけならできることでも、長く継続するというのはなかなかできません。逆に、だからこそそこに学びがあり、やりがいがあるとも言えます。そういう意味で、私は”実践”という言葉を"継続すること"と置き換えたりもしています。もちろん、精神をゆがめてしまうほど無理をする必要はありません(それは反対に逆効果です)。余談ですが、ジャニーズの東山紀之さんは毎日嫌なことを2つ実行し続けているそうですね。それを聞いた時、私はもう脱帽する以外ありませんでした。
 また、長く継続できているかどうかは、その人の意志が本物かどうかを見極める1つの指標としても私は活用しています(最低でも1年ぐらいですかね)。スピリチュアルな偽者や霊感商法詐欺を働く輩、嘘をついて生きている人なども大方これで判別がつきます(これで全てが判断できるということではありませんが、彼らは短期での効果しか狙っていないことが多く、また1年も見続けていくと大抵ボロが出てくるものです)。 逆に、人生の喜びとして自分ができる精一杯のことを継続していらっしゃる方々を見たとき、私はいつも嬉しくなり応援したくなります。

 どのような人生になったとしても、最期に「ああ生きてきて良かった、いい人生だった」と思えるように、毎日を丁寧に営んでいきたいですね。
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私が「真理」を問い始めた理由:頭でっかちと呼ばれて

(10.07.02更新)


 私自身はあまり自分のことを公にするのは好みませんが、私がなぜ人生というものを見つめ始めるようになったのか、そしてなぜ「真理」を探求し続けるようになったのか、そのきっかけについて本日は少しお話ししたいと思います。

 私は1977年、両親の下に長男としてこの世に誕生しました。ただ、人と違っていたのは私は生まれつき人よりも頭が大きかったということでした。「水痘症の類だろう」、軽いものでしたのではっきりと医師から断定されなかったそうですが、この病気は脳に水が貯まることで脳圧に影響し、頭が肥大化してしまものだそうです。

 両親は私を大切に育ててくださったのですが、小学校や中学校に入学すると、この先天的な病気のことで、たくさんのいじめや偏見などに遭うようになりました。特に私の通っていた中学校は、五分刈りという校則がありましたので、頭の形がもろに露出し”奇形”扱いされ笑いの対象になりました。「えんどうまめ」「ピッコロ大魔王」「エイリアン」「宇宙人」・・・様々な人から次から次へとあだ名を付けられました。行き帰りに笑って挨拶してくれたと思った人たちも、「今、お前の頭のことを馬鹿にして笑われてたんだよ。」と後で友達に聞いた時などもショックでした。「やっぱりそっちか・・・」私は落胆しました。いじめられた人を憎んだりということはありませんでしたが、ただ私自身とっても悲しかったです。いじめの数が半端なかったので私の心は段々と屈折していきました。私はあまり人に相談するタイプではなかったですし、気も弱かったので、一人で悩みを抱えつつ自分の気持ちを押し殺してきました。「なぜ僕は人と違うんだろう」「人生は不公平じゃないか」「僕は普通の人間になりたい」私はいつもそう思って自分の人生を呪ってきていました。

 その中学の三年間が終わり、高校へ入学して自由に髪の毛を伸ばせるようになると、いじめはぴたりと止みました(それ以降、現在に至るまでありません)。私は、嫌なことを言われない毎日が嬉しくてたまりませんでした。目の前がパーッと白く開けたような感覚でした。「みんなが何気なく過ごしている日常って、こういうものなんだ」と深く喜びを実感しました。高校では、過去に私に嫌なことを言っていた人たちと再び話す機会も多く、(過去のことをケロッと忘れていたようでしたが、)友達にもなりました。高校、大学、社会人となんだか別の人生を歩んでいるような感覚がありました。

 そして高校入学から16年後、昨年(2009年)の夏のことですが、私はずーっと私の心の中で溜めてきた負の思いがまだ残っていることに気づきました。「確かにいじめはなくなった。でも・・・自分の中に蓋をしたままで、自分と向き合うのを避けてきただけなんじゃないか。」そう思いました。その当時、私の耳や目に飛び込んでくる言葉は、「寛容」「ゆるし」という類のキーワードでした。年々胃腸が弱ってきていることには気づいていたのですが、その夏に(ウイルス性の)食あたりをしたとき、その尋常じゃない腹痛と下痢に「これはいよいよ自分を見つめなければいけないな・・・」と深く決意しました。その時私の手元にあった本は、精神科医であるジャンポルスキー博士の書いた「ゆるすということ―もう、過去にはとらわれない」でした。私は一日かけてゆっくりその本と向き合うことにしました。そして私は、「自分で自分をいじめていた」ことに気づき、かつて自分自身が抱いた負の思い「私は不幸だ」「こんな体に生まれなければ」などと思っていた自分を恥じました。そして何も解決していなかったことにも気づきました。私が”負のこだわり”を手放そうと思ったのはそこからです。

 長い時間がかかってしまったし、負の思いからスタートしてしまったけれど、この私自身の経験そのものが、私が「人生哲学」を考え「真理」を問う大きなきっかけになりました。
 高校生の時に「何気ない日常」がこんなに有り難いものだと実感できたことは、私のはじめての大きな財産です。
 そして、こんな辛い思いをするのなら、こんな悲しい思いをするのなら、こんなことを人にはしまい、したくないと本気で思えるように、自身の経験が教えてくれました(カルマの清算でもあったのでしょう)。
 また、世の中には身体的に人と違うことで苦労されてきたり、精神的に参ってしまった方はたくさんいらっしゃるかと思いますが、私自身が過去に経験してきたからこそ、その思いが本当に身にしみてわかり、自然と私の関心事になっています。もし私がなに不自由なくただ普通にのほほんと生きてきたとしたら、わからなかったことかもしれません。
 最後に命についてですが、私が過去いじめなどに遭っていた時に人生を絶望して自殺に向かわなかったのは、笑って楽しく過ごせる友達や、人生の先輩方からの叱咤激励が沢山あって、そこに人生の喜びや意味を見出すことができたからです。両親もいろんな事でバックアップしてくださいました。だから私は一人で生きてこられたなどとは決して思いませんし、多くの人と関わることができたから、いっぱいの愛をいただいてきたから今生きていられるんだと思っています。スピリチュアルなリーディングでも、「あなたは何回か命を助けてもらっていることに気づいていますか?」と聞いた時には、小学校の時に自分の不注意で道路に飛び出して交通事故に遭ったり、勢いのついた長ブランコが頭に直撃したり、大学や社会人になって精神的に追い込まれたりした時などを振り返り、「そうか、私はいつ死んでいてもおかしくなかったんだな」と思いました。今、私が生きているこの人生は、前向きな意味で「おまけの人生」だと思いながら、いつ死んでも後悔しないように、これからはいただいた人生を大切に生きていこうと思います。いただいた愛をお返しするために。

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Hear a call

 私の好きなマザー・テレサの詩の中から、本日は「hear a call」をご紹介します。


この世界の光...
それは どんな闇より強い 癒しの魂です。
There is a light in this world, 
a healing spirit more powerful than any darkness we may encounter.
人は苦しみが大きいと それを 見失います。
We sometimes lose sight of this force when there is suffering, too much pain.
すると突然、その魂は 召命を受けた平凡な人々を通じて姿を現し、非凡な方法で応えるのです。And suddenly, the spirit will emerge through the lives of ordinary people who hear a call, 
and answer in extraordinary ways.
 

Mother Teresa

(出典:マザー・テレサ 母なることの由来[DVD] 冒頭のナレーションより)


今後、この詩からいくつか考察していきたいと思います。
(※執筆の関係で、現在十分な時間がとれませんので)

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スピリチュアリズムと他の思想・哲学

 スピリチュアリズムは霊的な世界の実在、たましいの存在を前提とした生き方の哲学です。霊のことを語らなかったらスピリチュアリズムは成り立ちません。ですから、霊的な世界を信じない方にとっては、スピリチュアリズムはまったく異質のもの、相容れないものと考えていらっしゃるかと思います。

 私自身はこれまでに様々な経緯がありまして霊的世界は確かに存在すると考えている人間です(別途記事にします)。霊的真理に生きる人たちと共に歩んでいけることは嬉しいことですが、私の周りにも霊の世界を信じない人はたくさんいます。しかし、かといって自分が信じる思想・哲学を押し付けて信じさせてはならないし(それでは相手を尊重していません)、信じていない方も無理に信じようとする必要もありません(霊的世界は感じるものです。かといって感じられる=素晴らしい人ではありません)。そして私は"安易に"人にお話することもしません。必要だと感じたら「話してみる」ことはあっても、それ以上は相手が望む場合にのみ、その先をお話するようにしています。

 私がスピリチュアリズムを突き詰めて考えていった結果見えてきたこととして、「スピリチュアリズムは霊的なことを前提としてはいるけれど、どこまでも”精神性(スピリチュアリティ)を重んじた生き方を追求していくもの」(精神的価値観)であって、これは私が良いと思う他の思想・哲学と、多くの部分で符合する点です(特に光の部分についてのみ扱うならば、良心に沿った習慣や慣習、いわゆる道徳や倫理があてはまります)。ですから、霊的世界を信じない方たちとであっても(こちらから霊的世界について語らなくても)、実は多くの部分でわかり合えると気づきます。

 私は「スピリチュアリズムの普及」の大切さは理解しているつもりですが、それが”第一ではない”と思っています。それよりも大切なのは、このブログのタイトルにもあるように、「真理に沿って生きられること」ができれば一番いいと私は思います(それは霊的世界を信じる/信じない関係なくです)。スピリチュアルな視点から見ていくと、霊的世界を信じていない方であっても、自ずと真理に沿った生き方をされている方や霊性の高い方、私が尊敬申し上げる方々も多くいらっしゃいます。

 確かにスピリチュアリズムは霊界の高級霊によってもたらされたものではありますが、だからといって、どこかのスピリチュアリストのように、スピリチュアリズムを侵されてはならない聖域と定め、これを絶対視して、他者やその思想・哲学を裁いている教典主義の方がいらっしゃいますが、これには私は全く共感できません。

 スピリチュアリズムもまた一つの哲学。一人ひとりが自立し、自分自身の思想・哲学を持つためには、まず基本姿勢として、スピリチュアリズムも他の思想・哲学と同列に置いて考えるべきだと思います。その上で、(明らかにおかしいものは別として、)お互いの思想・哲学を尊重しながら、自分が良いと思うものを取り入れていけばよいと私は思っています。



※この記事は続きます。
  (1)「真理に沿って生きられることができるならば一番いい」とは申し上げましたが、時に人は闇が深いと光を見失います。このことはマザー・テレサも仰っていました。こちらについて、スピリチュアルな視点も踏まえて深く見つめていきたいと思います。
  (2)また、基本姿勢は他の思想・哲学と同列でありつつも、スピリチュアリズムは私の人生を180度変えてくれた哲学でした。そのあたりを今後、お話させていただければと思っております。

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霊能を特別望む必要はない

(10.03.20更新)

 巷ではスピリチュアルとかスピリチュアリズムという用語が、何か魔法や奇跡のような類で扱われることが多いかと思います。そして、そういったものを求める人は「霊能」を望む(あるいはすがる)ことがほとんどです。また、そこに、「あなたも修行すれば霊的な力が授かりますよ」などと不必要に誘い込む自称スピリチュアル・カウンセラー、スピリチュアル・ヒーラーも残念ながら多くいらっしゃいます(波長の法則によって、いたずらに求めるから、そういった人を寄せつけるわけですが。こういった現状をみていますと、何かやはり、「霊能者」=「素晴らしい人、霊性の高い人、お役目を授かった特別な人」という"誤解"があるのかもしれません。霊能者ご自身はそんな風に思っていなくても、周りがその人を神格化していまっているケースも見受けられますし、「スピリチュアリストは霊能者になること」だといった幻想に囚われている方、「今回生まれて来た目的を霊能者に聞くことが一番大切」という方もいらっしゃるようです。私は霊能や霊能者を否定したいわけではありません。(別途記事にしますが)その必要性は感じています。しかし世の中を見ていますと、どこか違うなと思う人たちばかり見受けられるのです。

 確かに日常生きている中にあって、霊視によって今現在の心境や環境、前世も含めた過去、そして近い未来が視えるといった、人智を越えた事実には驚くことでしょう。霊的世界を初めて目の当たりにした人は誰でも、神秘なことへの興味が湧くのではないか、だから最初のうちは霊能者に対して注目度があがるのは致し方ないとは思います。しかしスピリチュアリズムを正しく理解して霊的実相をみていくと、霊界の高級霊が、霊的世界(目にみえないもの)があるということを示したり、スピリチュアリズムを普及し精神的価値観で生きることの大切さを諭すために、霊能者はただ霊媒として使われているだけ、霊能者は現世の中の数ある職業の一つであって、一つの役目を果たしているに過ぎないということがわかってきます。心正しい霊能者であれば、霊能は霊的世界からの働きかけがあって初めてもたらされるものであり、主体は自分ではなく霊的世界だということ、自分は霊的世界の橋渡し役、道具であるということを理解されているし、それを受け入れていらっしゃることと思います。

 江原さんは以下のように仰っています。
 「皆さんは、この世に生まれてくる前はあの世にいたんです。死んでこの世を去ったら、みんな霊能者になっちゃうんですよ。今はこうして多くの方が私の話に耳を傾けて下さるけれど、死んだらいきなり私の先輩になってしまうんですからね。ですから霊能者だからって何も偉くないんです。私だって未熟だからこの世に生まれてきているし、中々真理を実践することは難しいけれど、皆さんといっしょにこの現世で学んでいる一人の人間なんです。
 前世・守護霊は誰だとか、オーラ何色になった?どこのパワーストーン、スピリチュアルスポットがいいの?とか知ったって、それだけだったら人生には何の役にも立ちません。オカルト興味はあの世に帰ってからでもできるんです。そんなことよりも、なぜ私たちがこの現世に生まれて来たのか、なぜわざわざ苦労の多い物質界に来たのかをよくよく考えていくと、粗雑なことに振り回されなくなります。この現世の旅なんてあっという間ですよ。だから自分の未熟さを一杯出して、そこから少しでも浄化向上できるように、人生をしっかりと生き抜いていくことの方が大切なんです。」

[最後に、江原さんとシルバーバーチからいただいたメッセージを元に、この記事を締め括りたいと思います]
 人は誰もが皆、素晴らしい存在であり、それぞれが生きるフィールドの中で素晴らしいお役目を授かってきています。皆それぞれ違ったカリキュラムを持って生まれてきているんだから、そういった観点から考えても、霊能なんて特別望むことも羨む必要もないと思います(必要ないから持ってこなかっただけ、ない方が現世において学びになるということも多いのではないかと思っています)。 霊格(霊性の高さ)=人格ですし、動機が不純では(その人の低い波長に見合った)低級霊の憑依を受けるだけでしょう(低級霊は高級な人物や神の名を語るニセモノです。ヨコシマな人間の願い事を叶える程度の霊能力を有しているため、人は「神が降りた」と錯覚するのですが、そういった低級霊のタチの悪さは言うまでもありません)。
 奇跡や魔法を追い求めるよりも、日々の生活の中にいかに沢山の幸せが溢れているか、そのことに気づくことの方が大切だと思います。そして、霊界はいつ何時でも私たちをみています。自分の課題を内観しながら他者と関わり合い、前向きに乗り越えていこうと努力することで、生きている人を始め守護霊やその他の目に見えない存在が、その道をサポート(後押し)してくださるかもしれません。(あせる必要はありませんが)自分が少しずつ高い波長になっていけば、現世で出会う人も自ずと変わってきます。自分が高い波長であれば、高級霊がサポートしてくださることもあるでしょう(そうなると今度はその人(の活動)を通して、高級霊が現世に働きかけをしやすくなるでしょう)

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TV情報「マハトマ・ガンジー」

(10.02.22更新)

 今週は、ガンジーのTV番組が二本、放送されます。興味のある方は是非チェックしてみてくださいね。


■衛星映画劇場 アカデミー受賞作品特集  ガンジー  1982年・イギリス/インド  GANDHI

2月15日(月) 20:00~23:13 (※NHKオンライン公式HPより引用)

 裕福な家に生まれたインド人の青年ガンジーは、ロンドンで法律を学び、弁護士として南アフリカへ渡る。そこで人種差別を目の当たりにし、公民権運動に参加。やがてイギリスに統治されている母国の独立を目指して「非暴力、不服従」をスローガンに、人々を説いていく。偉大なるインド独立の父マハトマ・ガンジーの波乱万丈の生涯をつづり、アカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞など8部門を受賞した名作。 

 【出演】ベン・キングズレー,キャンディス・バーゲン,マーティン・シーン 
 【脚本】ジョン・ブライリー
【監督】リチャード・アッテンボロー


■プレミアム8 知る楽インタビュー <人物>「マハトマ・ガンディー 現代への挑戦状」
  (※NHKオンデマンドでは配信されませんでした) 
2月18日(木) 20:00~21:30 (NHKオンライン公式HPより引用)
(再)2月21日(日)10:00~11:30
(再)2月25日(木)14:00~15:30

 インド独立運動の指導者、マハトマ・ガンディー。その思想は、現代社会に突きつけられた挑戦状である。現代インド論が専門の中島岳志さんが語る(※おそらく、2008年12月教育テレビ放送の「知るを楽しむ(全四回)」の再構成だと思われます)
【出演】中島岳志
【語り】古賀慶太

 

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マザー・テレサと生きる

 ドキュメンタリー映画「マザー・テレサと生きる」は、千葉茂樹監督の生誕100年・特別記念作品です。1997年に他界されたマザー・テレサはもうこの世にはいらっしゃらないけれども、マザーの精神は今も多くの人々の心の中に生き続けています。この作品は、日本で愛の実践活動を行っている人たちの姿を追いながら、人々の心の交流の中に幸せを見い出していくドキュメンタリー映画です。

 この映画では、修道会の活動の他、以下の2つのNPO法人が登場します。
 ・「風に立つライオン
    毎年、医学生を対象にマザーハウスでのボランティア活動を通じて、医療の原点を学ぶという活動をされています。
    灼熱の太陽が燦々と照らす過酷なインドの自然の中で、マザー・テレサも働いてきました。実際に自らの手を通して、労働を通してマザーの心と出会います。

 ・「きぼうのいえ(Hope House)
    マザーの活動に共感した山本夫妻が、「死を待つ人の家」を山谷でも始めたいという希望により建てられた終末期の人のための在宅型ホスピスです。山谷はマザーが来日したとき、まず行かなければいけないと過去に三度訪れた場所です。
    一度は社会から見放されていた人たちが新しい家族としてこの「きぼうのいえ」に迎えられ、今現在、約100人ほどの方々が(それぞれが信じる宗教を尊重されながら、)人間らしい余生を過ごしながら亡くなっていったそうです。
    (※映画では語られていませんが、山本夫妻は江原さんと交流があり、江原さんが私財を投じて山谷に建設中の第2の「きぼうのいえ」も、山本夫妻が運営していくとのことです)

 日本での活動の様子がメインですので、他のドキュメンタリーよりもリアリティがあり、「心の貧困」については、はっきりと身近な問題として強烈に実感いたしました。そのような中でマザーハウスでのシスター・クリスティの話が深く心に響き、そして映画の締めくくりで語られるマザー・テレサの言葉に会場が大きな慈愛に包まれ、上映が終わった後は自然と拍手が湧き起こりました。とても素晴らしい映画だと思います。今思い出しても感動が蘇ってきます。
(※これ以上、お話するとネタバレになってしまうので、よろしければどうぞ「マザー・テレサ映画祭」の会場に足を運んでみてくださいね)

 本日の舞台挨拶の中で、千葉監督がおっしゃっていました。
 「この映画は私が意図して作ろうとしたものではなくて、自然にできあがったものなんです。
  これは目に見えない存在が動かしてくれたのではないか、私は道具だった、そう思っています。
  マザー・テレサは今この世にいないけれど、きっとこの会場の中にいらしてくださっていると私は思っています。
  これだけ多くの人々が映画祭に足を運んでくださるのは、
  やはり現代の私たちにとって、マザー・テレサは必要な人であり、愛のある生き方の指針になる人だと思っています。
  皆さんの心の中にもきっとマザー・テレサはいます。
  今日、家に帰ったら身近な人に、笑顔や優しい言葉をかけてあげてください。」

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Author:gogomizop
本名:溝口 英巳
[ブログは基本的に、週一更新]

 霊的真理を正しく理解し、何事もおそれず、この世の限りある生を精一杯込めて生きることを目指すスピリチュアリストのブログです。
江原啓之のスピリチュアリズムが中心です。私が彼を師事している理由の一つに、「心」を重んじていることがあげられます。スピリチュアルといっても、ただ霊的な裏付け・視点を増やしているだけで(これらが大切でもあるのですが)、人生をどのように生きていくかについては、しごくまっとうなことを仰っているだけなんです。私は"感謝の中で毎日を現実的に生きること、毎日の丁寧な営み"こそが大切だと思っています。
 日々の内観の確認として、また人生の岐路に立った時・迷った時、皆様の道しるべとなれるなら幸いです。私自身、未熟な存在ですので、色々とご指導を仰ぐことも多々あるかと思います。どうぞよろしくお願いします。
 既成宗教の信仰はございません。精神世界系の団体に加盟すること、作ること、スピリチュアル関連の勧誘行為・経済活動は一切ございません。

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マザー・テレサ映画祭

今年2010年はマザー・テレサの生誕からちょうど100年目。只今、「マザー・テレサ映画祭」が開催されています。
2010年1月16日(土)~ 夏頃まで
各地で順次開催
「マザー・テレサ映画祭」公式サイト バナー(リンクフリー)

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