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真理に生きる(実践スピリチュアリズム)

~ 感謝の中で、毎日を現実的に生きていくこと。毎日の丁寧な営みを。 ~

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人生における真理 [序論2]

(10.06.02更新)

(関連記事:人生における真理 [序論1]

私はいつも、以下のことを考えながら世の中や人生を捉えるようにしています。

「 人生において大切なことは沢山あるけれど、
 複雑で混沌とした世の中だからこそ、まずはシンプルに”人として一番大切なこと(真理の核心部分)”だけを見つめ、
 そこから少しずつ広げていけば良いのではないか


 よくいわれることの一つに、「基礎を固めてから応用していく」ということがありますが、これは人生においても同じだと私は思っています。人生のルールを知らずに、人として一番大切なことを知らずに生きていくことは、初心者がいきなりガイドもなしに高山を登ったり、スキーで初心者がいきなりモーグルのコースを滑るようなもので、道を見失ったり、怪我をしたりさせたりしかねません。今回の記事は、この「基礎部分」を中心に述べていきたいと思います。

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 私たちの人生において大切なことは山ほどあります。多くの人が様々な人生経験の中で培ってきたものや、(書籍なども含め)多くの人との出会いの中で影響を受け得てきたものがあるでしょう。それぞれの人がそれぞれに大切にしているものがあると思います。それはそれで素晴らしいし、かけがえのないものだと思います。一人ひとりが自分自身の考えや思いは大切にすべきですし、また尊重されるべきです。

 ただ、その大切なことも大小ありますし、普遍的なものもあれば、特定の人にとって大切ではあってもその他大勢にとってはあてはまらないケースなど様々です。中には相反する議論などもあるでしょう。人はそもそも、顔かたちが違うように価値観も皆違うのですから当然といえば当然です。生き方も多様化している現代ですから、人生を見つめ直そうと思っていらっしゃる方々にとっては、「何が大切なことなのだろう?」と思われるお気持ちもよくわかります。

 そこで私が提案したいことは、”人間の根本的なもの、本質的なもの”を見ていくことです。 
(1)根本的なもの
 「そもそも人はどういった存在なんだろうか」「何が無いと生きていけないんだろう、逆に何があれば、それだけで幸せと思えるのだろう」「人間の尊厳って、命って何だろう」「人生の意味ってなんだろう」など、様々な視点から全ての人間に共通するものを根本的に考察します。
(2)本質的なもの
 人の言動やこの世にある様々な事象や問題は、確かにそれぞれ見た目や表現方法が異なるので、一見まったく別のものとして思いがちです。けれどそれらを一つひとつ冷静に分析し大元を辿っていくと、実は本質的には同じところからきていることが多いということが見えてきます。

 そうして導き出したものが私の申し上げている「真理の核心部分」であり、これが基礎になります。基礎を固めるということは、自分の中に一本(または数本)の太い幹を作るということです。”自分自身の心の柱”を持ちそこから離れなければ、不安定な社会に依存したり人の言動に左右されることは少なくなります。そして、その柱は一本~数本であることも重要だと思っています。なぜなら、そもそもたくさんのことを一度に見つめたり実行することは難しいことだからです。また、この世は複雑な世界だからこそ、シンプルに捉え、シンプルに生きていくことが重要ではないかと思っています。

 「真理」は一人ひとりが自分自身で培っていくものだと思います。それは、生きていく中で変わってもいいと思います。確信を深めたり、自分自身の”台本”を改訂しながらも、一生をかけて見つめていくものだと私は思っています。思想・哲学の捉え方、真理探究の仕方については以前の記事で述べたとおりです。

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 ※もちろん、私はこの世界のあらゆることをシンプルに解決できると申し上げるつもりは更々ありません。問題の一つひとつ、人間関係の一つひとつはそれぞれがケースバイケースですから、一つひとつ現実的に向き合って、各人がそれぞれ適切な解決策や付き合い方を模索・検討していく必要はあります。基礎部分は最も大切なことではあるけれども、決してマニュアルどおりにはうまくいかないのが世の中です。しかし、その葛藤こそが学びであり、人生の面白さでもあると思うのです。(多くの人が一度はそう思ったことがあるかも知れませんが、)全てがマニュアルどおりにうまくいったなら、どうでしょうか。おそらく成長がなく怠惰に生きていたと思います。そして誰がやっても同じ、違う見方をすればその人の代わりはいくらでもいることになります。これは人間として本当につまらないことです。様々な人がそれぞれのフィールドで葛藤しながらも、その人なりの工夫をすることが味になっていきますし、それこそが大事ではないか思っています。そして、この蓄積こそが人間力(応用力)であり、大きな力となるのではないでしょうか。

 次回、「真理の核心部分」について述べていきたいと思います(いくつかもう既にお話していることでもあります)。
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Comment

ご無沙汰しております 

いつもすばらしい記事をありがとうございます.

しばらく,色々なことが重なって,物的利益創出にはがんばっていたものの(笑),心の故郷にはなかなか立ち寄れずにおりました.
色々なことというのは,人を恨み憎むことでもあり,自分を(通じて大霊を)信じることができなくなることであり,ともかくさびしく切ないことでした.

その経験の中で,おかしな考えを得ました.
僕はスピリチュアリストを厚かましくも自認しており,スピリチュアリズムの真髄は利他的で精神的な境地ですから,他人を恨んだり憎んだりすることはあらゆる意味から「禁止」されているはずです.
一方で,現実に理解に苦しむような言動をする人がおり,そのために,私は憎み,恨み,かつそのことを否定して,ワケの分からない状態におりました.

しかしあるとき,あるウェブサイトに立ち寄り,そのときからひとつのオカシナ考えを持つに至ったのです.

憎んで当然じゃないか.
恨んで当然じゃないか.

そのように考えると,ふーっと,心が軽くなったのです.
ガチガチに溶岩のように固まっていて「ダメだダメだこんなんじゃダメだ」と震えていたのが,どういうわけだか,溶けたのです.

そして軽くなった心は,嫌な事実も人物も,比較的上手に受け入れられたんです.
いまは,そのことをときどき思い出しつつも,ふっと笑って取り込むことが出来ています.
許す・そのことを受け入れるという境地にはまだ少し遠いようですが,ただ,以前の状態よりはずいぶん上手に進んでいるようです.
つまり,どういうわけか,憎むことを受け入れることでスピリチュアリズムに近づいている感触があるのです.

このことについて僕は答えを持っていません.
みぞっぷ様がお書きの通り,僕の信念も,真理は単純なものであって決して大上段に振りかぶり・大枚な解説書を要するものではないと理解しております.
ただ,肉に宿る我らの霊は,やはり僕など理解の及ばないような複雑な霊的地図を持っているのかもしれませんね.

相変わらずの雑文申し訳ございません.
  • posted by 求道猫 
  • URL 
  • 2010.05/12 09:24分 
  • [Edit]

Re: ご無沙汰しております 

求道猫さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

いや~、求道猫さんはとても正直な方で、いつも好感を持っております。

 そうでしたか~、あるウェブサイトとの出会いがきっかけとなって、ご自身が「憎む」「恨む」といったような負の思いと向き合われたのですね。そして今、少しずつ良い方向へ進まれているとのことで良かったです。私からもエールを送らせてください。

 確かに、良き思いでいられること、他者に対する奉仕の心でいられることを目指すのは理想ではありますが、人間である以上、誰の中にも自己愛は存在するし、完璧な人など誰もいないのですから、時にネガティブな思いを抱いてしまうことは人間であれば普通のことだと思っています(聖人と呼ばれる人でさえです)。
 私だって良い思いでいたいなと思っても、日々生きていればふとした瞬間に黒いものが出てしまうこともあって、「うう・・まだまだ未熟だなぁ」なんて思うこともしばしばです。そんな時に「いかん、切りかえよう。考え方を変えてみよう」とか「ちょっと、頭を冷やした方が良さそうだな。一度寝て、リセットしよう」とか、日々格闘しております(笑。
 私の理解しているスピリチュアリズムでも、(理想の形ではないにせよ)そういった思いを”禁止”してはいないと思っています。私が思うに、(良い自分も悪い自分も含め)等身大の自分を見つめること、「人を憎んだり羨んだり、恨んだりしてしまうような自分」をゆるすこと(※注:良しとすることではない)、「未熟な自分」をまるごと認め、ゆるしていくことがまずは大事なことではないかと思っています(完璧を目指し過ぎ、理想どおりにいかない自分をゆるせなかったりすると、それが負の思いとなり精神をゆがめると思います)。そしてまた、おそらくそういった負の思いをどのように捉えるかが重要だと思っています。
 詳細については「人生における真理」の中で記事にさせていただきたいと思っています。

NoTitle 

いつも楽しみに拝見しています。
生き方を基礎を固めてから応用していくとの事とありましたが、木で云うならな根の部分がしっかりしていなかったら、幹、枝、葉も育つことができないということです。又、車も免許があって初めて運転できるように、人生も又、生き方を学ぶ事の大切さを痛感しています。シンプルに生きていくことが
重要とありましたが、私は、シンプルとともに、常に心を
、空にしてすっきりと、暮らしていくことだとも思います。
これからの記事を共に学んで生きたいですね。。
  • posted by まーさん 
  • URL 
  • 2010.05/17 01:52分 
  • [Edit]

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Author:gogomizop
本名:溝口 英巳
[ブログは基本的に、週一更新]

 霊的真理を正しく理解し、何事もおそれず、この世の限りある生を精一杯込めて生きることを目指すスピリチュアリストのブログです。
江原啓之のスピリチュアリズムが中心です。私が彼を師事している理由の一つに、「心」を重んじていることがあげられます。スピリチュアルといっても、ただ霊的な裏付け・視点を増やしているだけで(これらが大切でもあるのですが)、人生をどのように生きていくかについては、しごくまっとうなことを仰っているだけなんです。私は"感謝の中で毎日を現実的に生きること、毎日の丁寧な営み"こそが大切だと思っています。
 日々の内観の確認として、また人生の岐路に立った時・迷った時、皆様の道しるべとなれるなら幸いです。私自身、未熟な存在ですので、色々とご指導を仰ぐことも多々あるかと思います。どうぞよろしくお願いします。
 既成宗教の信仰はございません。精神世界系の団体に加盟すること、作ること、スピリチュアル関連の勧誘行為・経済活動は一切ございません。

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