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真理に生きる(実践スピリチュアリズム)

~ 感謝の中で、毎日を現実的に生きていくこと。毎日の丁寧な営みを。 ~

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宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」「イーハトーブ」

(09.11.16更新)

 私が宮沢賢治に興味を持ったのは、2007年放送のNHK連続テレビ小説「どんど晴れ」でした。遠野に取材に訪れた夏美(比嘉愛未)と水森(鈴木蘭々)は、ひょんなことから古い民家に招き入れられます。その民家では、宮沢賢治を愛してやまない石川という男(奥田瑛二)が、お世話係の吉岡さんと共に、養子縁組で5人の子供たちを実の親子のように大切に育てていました。お二方のご厚意により、夏美と水森はそこで一晩お世話になります。これはその日の晩のこと、夕食をいただく時のシーンです。


(全員が大きな丸い食卓を囲んで、手を合わせている)

石川:「今日も一日、みんな仲良く、無事に過ごせたことを感謝して、いただくとする。」
    「いただきます。」

全員:「いただきまーす!」

夏美:(ふと、「雨ニモ負ケズ」の額縁を発見して) 「宮沢賢治がお好きなんですか?」

石川:「あぁ、私の理想とする生き方なんですよ、宮沢賢治の生き方は。いやぁとても、あんな風には生きられませんけどね」

水森:「あたし達、盛岡で、喫茶店の上に下宿してるんですけど、そこのお店の名前はイーハトーブって言うんです」

石川:「あぁ、イーハトーブ、理想郷ですね」

水森:「そこのマスターも、宮沢賢治が大好きなんです」

石川:「そこの店も理想を持って作られたんでしょうねぇ。
     イーハトーブの真の意味は、そこが求める場所ではなく、そこに行って 自らが理想郷を作ることである」

吉岡:「宮沢賢治の話になるとこの人、一晩中でもしゃべっているんですよ(笑)」

石川:「語り尽くせないからね、宮沢賢治の偉大さは(笑)」

(石川が大きな声で「雨にも負けず」を語り出し、続いて子供達も加わり大合唱に。夏美、水森、吉岡の三人はそれを微笑ましく見守る)
「雨にも負けず」

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち
欲はなく 決して瞋(いか)らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず
野原の松の林の蔭の 小さな茅葺きの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと言い
日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい


NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」(2007年放送)より

■雨ニモ負ケズ
 「雨ニモ負ケズ」は、賢治と同じ花巻出身の「斎藤宗次郎」が実際のモデルであったとする説があります。
 彼はクリスチャンでしたが、当時は国賊(ヤソ)として大変な迫害を受けていました。宗次郎は親に勘当され、時に人から石を投げつけられたりしました。近所で火事が起きたときは、関係ないのに嫌がらせで放水され、家を壊されました。何度もガラスを割られることもありました。もっとひどいことに、当時9歳だった大切な娘が「ヤソの子供」と言われてお腹を蹴られ、腹膜炎を起こして亡くなってしまったのです。
 宗次郎はそのような苦しみの中で、神様に祈ったそうです。そして、彼は「御心がなりますように」とくじけることなく神様を信じ続けました。普通なら、これほど酷いことをされたのですから迫害のない土地へ移り住むのが当然です。しかし、宗次郎はその土地の人々に神様の愛を持って仕えることを選びました。
 宗次郎は小学校の教師を辞めさせられてしまったので、牛乳や新聞の配達を始めます。朝3時に起きて、雨の日も風の日も、雪の日も休むことなく牛乳や新聞の入った重い風呂敷を背負い、一日40キロの配達の道のりを走ります。10メートル走っては神様に祈り、10メートル歩いては神様に感謝をささげたそうです。帰りには病人を見舞ったり、道ばたで遊ぶ子供たちにアメ玉をやり、人々の悩みや訴えを聞き、励まし祈り続けたといいます。彼は「でくのぼう」と言われながらも、最後まで人々を愛し続けた人でした。
 この人こそ、まさに「雨ニモ負ケズ」の詩にあるようなことを実践していた人でした。そういう宗次郎の生活ぶりを見ていた宮沢賢治が、「こういう人になりたかった」という思いを込めて、「雨ニモマケズ」という詩を書いたのではと言われています。
 私は宗教について言及するつもりはございません。宗教というものを抜きにして、宮沢賢治が書いた詩に、人を恨むどころか愛し続けた斎藤宗次郎の生き方そのものに、私はいたく感動しました。なかなかできることではありませんが、私もそのようになりたいと思っています。
(参考:★阿修羅♪さんHPさるさる日記さんHP

■イーハトーブ(理想郷)
 どんど晴れの中で、「イーハトーブの真の意味は、"そこが求める場所ではなく、そこに行って 自らが理想郷を作ることである"」と語られています。私にとっては大変に印象的でした。深い言葉だと思います。スピリチュアルな視点からみれば、この理想郷とは物質的な豊かさではなく、心の豊かさを大切にした、お互いを尊重しあえる地域社会だと私は思っています。そして、'完成品'としての理想的な場所を追い求めるのではなく、今、自分が住んでいるこの場所で、'自ら'が作っていくことが大切なのだと思いました。これについて、千葉大学の佐藤和夫教授の言葉が思い浮かびます、「全てお上がやってくれる社会は果たして幸福だろうか。何もない所からでも、そこに暮らしている人たちが自分たちでつながりを作り、工夫していくことに面白さがあるのではないか」と。私の人生を振り返ってみますと、高校時代のアルバイトや、SE時代・ゲーム会社時代での新システム構築などで、いわゆる"立上げメンバ"として新しく何かを作る経験をしてきました。どれもかなり大変だったけれどその経験は今でも忘れないし、作り上げる課程や達成したその先に一体感・信頼感みたいなものが生まれて、関わったメンバと(世代を超えて)仲良くなれたことを覚えています。同じように地域(もっと拡げていけるなら日本や世界)でもやっていけばいいのですよね。
 私は今、東京の下町の一つである高円寺のアパートに住んで5年になります。ただ、半年くらい前まで私は、この地域では行きつけのお店数軒だけの交流しかありませんでした。元々、人と知り合うのは大好きなのですが、なかなか近所の人たちと自然と仲良くなれる「きっかけ」がないなぁと思っていました。けれどもここ最近、挨拶やお神輿担ぎ、区のイベントなどに自発的に行動してみたことがきっかけで、色々な方と知り合う機会に恵まれました(ご年配の方々が多いです)。あったかいなぁと実感する日々です。いつまでも大切にしていきたいし、どんどん拡げていきたいと思っています。

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Comment

NoTitle 

こんにちは。
宮沢賢治が斎藤宗次郎という人の生き方をモデルにして書いた詩だということをみぞっぷさんに教えてもらって、はじめて知りました。
ただ、私としては賢治自身が自分のことを手帳に書いたのだとばかり思っていましたので、なんとなく違和感を覚えたのも事実です。

以前、新聞で読んだのですが「日照り」というのがもしかしたら「ヒドリ」という意味ではないかという話が書いてありました。原文ではおそらくカタカナで書いてあるのでしょう。「ヒドリ」というのは日雇いのことだそうで、仕事がないときに出稼ぎに行ったのではないかということでした。

でも、そんなことはたいした問題ではありませんね。やはりこの詩は賢治の代表作でしょう。

私は賢治のことを菩薩だと思っています。
でも、彼の作品をきちんと読んだり、彼の活動を詳しく本で読むなどの積極的な行為はしていません。だから概念でしか考えられません。

そして私は賢治のような生き方をしたいとは思いません。できないことを無理しても自分が潰れるだけです。スピリチュアルな掲示板にこういうことを書くのは不謹慎かもしれませんが、やはり私は自分が自分らしくのびのびと行きたいと思っています。

それと宗教、新興宗教に限らず私は「よくないこと」だと思い始めました。やはり団体の中に身を置いて特定の考え方に凝り固まるのはあまりいいことだとは思えません。

やはりこれからは特定の宗派に関係なく、属することなく自分の中に尊い存在を見出すことが必要なのではないかと思います。言うは易しですが。

全体的に否定的な文章になってしまったことお許しください。あまりにも自己犠牲の上に生きた人のことを最近の私は受け入れにくい精神状態になっているのかもしれません。

では。
  • posted by はるひろ 
  • URL 
  • 2009.11/15 17:40分 
  • [Edit]

Re: NoTitle 

はるひろさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

いただいたご意見、そんなに否定的ですかね(笑)?あまりそう思いませんでした。
いつもはるひろさんは、私のことを配慮くださった上で、自分の意見をストレートに仰ってくださいますよね。だからすごくありがたいんです。100%繕おうとする人、相手を論争で負かそうと攻撃的な態度をする人とは大違いですよ~。同じ文章を読んでも、感じ方は人それぞれなのですから、色々な方の意見を聞けるのはうれしいです。

この斎藤宗次郎の逸話、実はもっと宗教色が濃かったんですが、
・私は宗教の信仰は一切ないこと、またそのような団体に入ったり、あるいは私自身が団体を作る意志がないこと
・読者をそういう宗教的な方向に持っていくことはしたくないこと
から、
かなりそういった部分はカットしたのですが、それでも色が出てしまっていましたか~(※なので記事本文の、私の宗次郎の感想のところ、一部修正しました)。
私はただ、宗次郎の「人を恨むことなく、愛に生き続けた」姿に感動しただけだったんです。

「宗教」についてのお考えについては、私も同意見です。
 > 団体の中に身を置いて特定の考え方に凝り固まる
 > 特定の宗派に関係なく、属することなく自分の中に尊い存在を見出すことが必要

そして、こちらのコメントについては、
> そして私は賢治のような生き方をしたいとは思いません。
> できないことを無理しても自分が潰れるだけです。やはり私は自分が自分らしくのびのびと行きたいと思っています。
→私ものびのび生きてますよ~!(笑
ただ、「無理しても自分が潰れる」はその通りだと思います、無理矢理でいいことは何一つありませんから(^^)。ありのままの自分を見つめることからが第一歩ですよね。
もしも、宗次郎が行き過ぎた信仰があり、「神は人に奉仕をするものと説いている、決して疑ってはならない」などと教えられ、自分で思考することなく依存のみで、心がそこに無かったとしたら、それは無意味なことです。宗次郎がどのような心でそうしていたか、本当のところは彼にしかわかりません。ただ大事なのは、読み手がどう感じるかだと思います。私は、彼には純粋な愛でそうしていたと思うんです、彼は「そうしたいからそうした」自発的な行動だったのではないかと思うんです。「そうするものだと教えられたから」という強制ではないと思います。これらは全然違いますよね。(全てとは言いませんが)宗教家の多くは、後者が多いんです。闇雲だったり、依存するだけだったり、そこに心がない。または金儲けや名声・政治の道具として使っていたりします。

はるひろさんに促された形になりましたが、いい機会ですので、そろそろ以前から書こうと思っていた以下の記事について掲載していこうと思います。
 ・手放しで精神世界に入っていくことの危険性
   カルトに陥らないために、マインドコントロールの手口を学ぶ
 ・こんなスピリチュアルは偽者
    権威主義、現世利益のみを伝えるものなど
 ・宗教とスピリチュアリズムの違い
 ・既成宗教のドグマについて
 ・団体を作ることの危険性(※全てが悪いとはいいません)
 ・宗教団体は信用しない、(団体とは関係なく)尊敬できる人はいる
 ・霊能者だからって偉くない、スピリチュアリストだからって偉くない
など

こんばんわ 

レスありがとうございます。

私のその時その時のブレのある発言を好意的に受け取ってくださり感謝しています。

前回のコメントを書いたときは、なんというか私自身がある意味囚われているという被害者意識があっていつもより宗教という枠の中での素晴らしい行為を考える余裕がなかったのだと思います。

宗教的な行為に深く関与していくことが人生のある時期において必要なこともありますからね。

確かに、自発的に行うことは宗教的ではありますが、囚われてなく自由意志ですることですね。それはやはり個人の内なる輝きが外部に働きかけるということなのでしょう。

そうですね。のびのびと生きたのでしょうね。

スピリチュアルな事に関して陥りやすいことは、やはり「群れる」ことだと思います。あと、神秘体験を求めすぎるなど。
人間はもともとがスピリチュアルな存在なのですがあえて肉体を持って生まれたことに意味があるんですよね。だからあまりにもスピリチュアルなことに傾倒することは一般社会においては害になる恐れがありますね。以前の私のように(笑)。

今は、あまりこだわらないことが私にとってよいことなのだと勝手に解釈しています。

では、次回も期待しています。
  • posted by はるひろ 
  • URL 
  • 2009.11/17 01:33分 
  • [Edit]

Re: こんばんわ 

はるひろさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

> スピリチュアルな事に関して陥りやすいことは、やはり「群れる」ことだと思います。あと、神秘体験を求めすぎるなど。
> 人間はもともとがスピリチュアルな存在なのですがあえて肉体を持って生まれたことに意味があるんですよね。だからあまりにもスピリチュアルなことに傾倒することは一般社会においては害になる恐れがありますね。
その通りだと思います。江原さん的にもそこが一つのポイントであると、「スピリットの法則」のところで仰っていました。なぜあの世とこの世があるのか?なぜこの鈍い現世に肉体を持って生まれたのか、そこを考えることがミソだと。
宗教・カルト関連の記事が一通り終わったところで、そのあたりを私なりに書きたいと思っております。

> では、次回も期待しています。
ありがとうございます。
週末あたりに掲載させていただきますね。

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Author:gogomizop
本名:溝口 英巳
[ブログは基本的に、週一更新]

 霊的真理を正しく理解し、何事もおそれず、この世の限りある生を精一杯込めて生きることを目指すスピリチュアリストのブログです。
江原啓之のスピリチュアリズムが中心です。私が彼を師事している理由の一つに、「心」を重んじていることがあげられます。スピリチュアルといっても、ただ霊的な裏付け・視点を増やしているだけで(これらが大切でもあるのですが)、人生をどのように生きていくかについては、しごくまっとうなことを仰っているだけなんです。私は"感謝の中で毎日を現実的に生きること、毎日の丁寧な営み"こそが大切だと思っています。
 日々の内観の確認として、また人生の岐路に立った時・迷った時、皆様の道しるべとなれるなら幸いです。私自身、未熟な存在ですので、色々とご指導を仰ぐことも多々あるかと思います。どうぞよろしくお願いします。
 既成宗教の信仰はございません。精神世界系の団体に加盟すること、作ること、スピリチュアル関連の勧誘行為・経済活動は一切ございません。

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